生野高校28期掲示板

[200] 温旧会です! 投稿者:渡邊 投稿日:2016/05/27(Fri) 16:43

忙しさにかまけて、長らく当掲示板を覗いておりませんでした。
同窓会恒例の「温旧会」は、明日5月28日(土)午後4時より、御堂筋線本町東へ約2分、ヴィアーレ大阪です。会費は8,000円、生野の卒業生の方ならどなたでも、飛び入りでも参加できます。
奮ってご参加ください。
現在のところ、28期での参加者は、池尻君、市口君、松井君、児嶌君、そして渡邊です。

PS 小林君、日曜にでもじっくり読ませていただきますね。



[199] STAP細胞ーその2 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/25(Wed) 07:51

ナンバー194で、ドイツやアメリカでSTAP細胞の作製に成功したとの発表があったと紹介しました。
続いて最近、ハーバード大学付属病院が世界各地で同細胞の特許出願並びに特許審査請求をしていると、日本の一部大手新聞が報じました。
認められれば特許権が発生しますが、失敗すれば罰金まで納めなくてはならない厳しいものです。
ある学者の解説によると、論文の発表は審査員が論理的に間違っていないと認めたら、英ネイチャー誌に掲載されるなど発表されますが、何の権利も発生しません。
しかし、特許は他人が製造する権利を押し止めるから、論文だけでなく、実験の成功も審査機関(特許庁)に示さなくてはなりません。ということは、特許を出願並びに審査請求する側はよほどの自信があってのことでしょう。
ということは、STAP細胞はほんまにあんのか?と思ってしまいます。
考えてみれば、世紀の発明、発見とは、それまで誰も思い付かなかったことだから、最初の発表時点で完璧な証明をすることは難しいと思います。今度の特許が認められれば、小保方さんの先進的な着想と研究が見直され、名誉回復につながると思います。小保方さんはマスコミの暴力でケガしたことを明かしてます。ケガさせたマスコミがその責任を償ったとは聞いたことがありません。大変残念なことですが、マスコミの猛攻撃に耐えられず自殺した笹井さんの命は戻りませんが、小保方さんはよく耐えたと、他人事ながら讃えたいと思います。



[198] 詞を学んだ思い出 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/24(Tue) 08:40

高校時代の国語の授業で、ある詞を学んだことを覚えています。
先生は杉本先生、詞の作者は萩原朔太郎、内容はビヤホールで1人ぽつねんとビールを飲み、物思いに耽っている初老の自分。先生は、わざとリズミカルでない語調にして、作者の虚無的な心象風景を表していると説明され、「へえーそんなんあるんか」と驚いたことを覚えてます。
先ほどネット検索すると、題名は「虚無の歌」でした。
萩原は、そういった虚無的な孤独を愛したからか、ほんまに爺臭い内容です。しかし、没年は若く55歳でした。大正時代に活躍した人でした。
高校生に似つかわしくない作品と思いますが、それをどうして教科書編集者は掲載したのだろう?と興味が湧きます。
大人のひねくれたような気持ちが吐露されていますが、そういうところに驚かせ、詞の表す世界の複雑な奥深さを教えてやろう、そう思ったのでしょうか。
とにかく、弱々しく老いぼれた心象風景が一つの詞になるということを教えられ驚いたことが、当時の思い出の一つです。



[197] 高校時代のアイドル 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/21(Sat) 13:53

これってめちゃめちゃ恥ずかしい話ですが、高校時代のアイドルは浅田美代子でした。
よく下校時の近鉄電車の中で、ぼくが浅田美代子派、西田孝文君が麻丘めぐみ派で、どちらが可愛いかをよく「議論」しました。
高一の時、東京の親戚の家に泊まりに行って、東京赤坂の一ツ木通りにあるTBSの中に入って(どうやって入ったか覚えてません)、「時間ですよ」の収録の合間に浅田さんからサインをもらいました。
浅田さんも麻丘さんも当年60歳になりました。ぼくらが2つ年下だから、昔のアイドルが還暦というのも仕方ないというか当たり前です。
数年前、麻丘さんがテレビ番組でデビュー時の秘話を披露されてましたが、あるプロダクションに連れて行かれて、ルックスもスタイルもよく、そこのスタッフもええ感じを持ったのでしょう、「じゃあ歌いなさい」と言われて何かのアイドル曲を歌ったところ、あまりの声の低さにスタッフらがずっこけたという逸話を明かしてくれました。
動画サイトで当時のヒット曲を聞いても、10代後半らしい可愛らしい声で違和感はありません。ということは、デビュー前に相当レッスンを積んだのでしょう。
それから、西田君らはギターの名手で当時のフォークをよく歌ってました。ぼくは特に「心の旅」と「僕の胸でおやすみ」が好きでした。カラオケスナックで同僚らと歌う時に「僕の胸でおやすみ」をよく歌いましたが、この曲はあまりヒットしなかったせいか、若い人らは知らないことが多いです。でも、歌いながらジーンと来るものがあります。スナックのコが「知らなかったけれどええ曲ですね」と言ってくれた時は妙に嬉しかったです。



[196] シェールオイル、シェールガス 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/21(Sat) 10:00

最近のガソリン値下がりは石油のない日本にとって嬉しいことですね。
ネットで識者が言ってることの受け売りをちょっと書きたくなりました。
昔の生物の死骸がオイルやガスに変質して地中に貯まっているので、それらは化石燃料と呼ばれてますが、その大部分は地下2000〜3000メートルの岩盤に広く散らばっているので、採算の取れるコストでの採掘は難しいと言われてきました。
したがって、採掘技術と採算上の理由から、地表近くの空洞に貯まった油田、ガス田から採掘されてきました。
ところが、ここ10数年の技術開発によって地下2000〜3000メートルのオイル、ガスを安価なコストで採掘する技術が開発され、実用化されてきました。
これがシェールオイル、シェールガスです。(シェールとは早い話、地下深い岩盤のことです)
一番早くこれらの採掘事業を始めたのがアメリカの会社でした。アメリカは油田の資源量も豊富にありますが、外国に輸出するのは自国のエネルギー不足になるとして禁輸されてきました。ところが、シェールオイル、ガスの採掘ラッシュにより膨大な生産量となり、禁輸によって持っていきどころがなく倒産する会社も出てきました。
そこで、アメリカ政府は輸出自由化に踏み切りました。貴重品でなくなったシェールオイル、ガスは世界中で生産され、輸出される日はもうすぐです。
逆に困ってるのは産油国やガス輸出国(ロシアなど)です。一時的な値下がりではなく恒久的ですから、石油やガス以外たいした産業のない国々はおそらく急速に凋落するでしょう。
それらの国の対外政治経済戦略も変わってくるでしょう。



[195] トランプ発言 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/17(Tue) 20:50

共和党のトランプ氏がほぼ共和党大頭領候補の座を射止めました。一方民主党はヒラリー・クリントン氏で固まり、両氏の一騎討ちとなりました。
トランプ氏は暴言を吐き顰蹙を買いましたが、貧富の差が開きすぎたアメリカでは、こういう馬力のある人が魅力的なのでしょう。
ところで、最近のトランプ氏発言には、ほんまびっくりしました。その発言とは「大赤字となったアメリカ財政を救うにはアメリカが世界に派遣している軍隊を引き上げるか、実費まるまるを派遣先に負担してもらうしかない」
これはまさに正論です。アメリカが自国経費で世界の警察を引き受けると決まった訳ではないし、巨額の財政赤字なら、やむを得ないことです。
だから、費用負担しなければ日本からも韓国からも撤退すると彼は言ってます。
戦後70年間、戦勝国のアメリカは占領の続きで日本駐留を続けてきたと、誰しも思ってきました。日本を守ってくれていると考える人たちも、まるで属国だと批判する勢力も、まさか貧困国に成り下がったから引き上げざるを得ないと大頭領候補が言い出すとは。
素人考えですが、この発言は正直だと思います。政治家は表面きれい事を言っても自国や自分自身の利益を第一に内心考えるのが常識でしょう。
ところが、アメリカ大赤字、友好国だからといって一部負担でアメリカが守ってくれるなんて大間違い、それって誰も思い付かなかったが正論と思います。自国を守りたければ自国の力で守るか、他国に頼るなら実費全額負担・・・それって大変分かりやすいです。目からウロコという感じがします。



[194] STAP細胞 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/17(Tue) 18:28

今年の3月10日、ドイツの大学がSTAP細胞に成功したと発表しました。
小保方氏の方法に改良を加えたそうです。
ただ、死滅する細胞のほうが多く、成功した細胞はほんの一部だそうです。
しかし、一部でも成功は成功に変わりありません。
アメリカでも同種の研究成果があったという報道がありました。
日本は小保方さんらのチームが世界に先駆けて成功したにもかかわらず、いろんな小ミスをあげつらって、まるで詐欺師のように扱ってます。コピペなどのことから手のひらを返して猛烈にバッシングして笹井さんを自殺に追い詰めた日本のマスコミは同じくドイツやアメリカの成功に対しても猛然とウソを暴くべきだと思います。
ある科学者が言ってましたが、世界中でSTAP現象が確認されて、この分野を共同で研究する学会が発足しても、両氏を詐欺師のように騒ぎ立てた日本のマスコミは無視するでしょうし、国としても吊られて入れてもらうなんて恥ずかしいことはできないでしょうと困惑してました。
もちろん、一部小ミスがあったにせよ、見所ある研究だから、まだまだ続けるべき、要するに擁護的に見守った研究者は別ですが。



[193] テレサ・テンの後継者 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/15(Sun) 16:58

この掲示板のナンバー167に好きな曲を3曲あげました。
岡村孝子の「夢をあきらめないで」、小林明子の「恋に落ちて」、テレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」。
いずれも名曲ですが、岡村や小林が年齢を重ねるにともない、年相応の声や歌い方に味が出てくるのに、テレサだけ残念ながら早世して、生前の録音を繰返し聞くだけです。
それで、この名曲を歌い継ぐに最もふさわしい歌手をさがしてます。
前置きが長くなりましたが、いろんな歌手がカバーしている中で、夏川りみが一番ええと思ってます。
もちろん、テレサが録音したもので十分楽しめますが、夏川なら夏川なりの個性も発揮しつつ、受け継ぐところはきちんと受け継いでます。甲乙つけがたい歌い手と思います。経歴も子供の頃から人前で歌うが好きで、早くから受賞し、プロの道を選び進んできたという共通点もあり、夏川の「時の流れ」を聞くたびテレサを懐かしく思い出してます。
まったく個人的な趣味で失礼しました。



[192] 村田諒太KO勝ち 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/15(Sun) 08:43

昨日香港でミドル級世界ランカー(6位だったか?)の村田諒太がやや格下のブラジル人プロボクサー相手に猛烈にパンチを浴びせ、4ラウンドでKO勝ちしました。ロンドン五輪金メダリストの村田はプロ入り後の戦績がこれで10戦10勝7KOと順調に勝ち進んできました。そのうち世界戦の候補に上がってくるでしょう。
しかし、現時点での実力ではミドル級王者ゴロフキンにはかなわないでしょう。
ぼくは動画サイトでゴロフキンの過去の試合をたくさん見ましたが、基本に忠実で負ける要素が見当たりません。
やや猫背にして、グローブで顔面を覆い、肘は腹にくっ付ける、鉄壁のガードです。
しかし、柔らかく伸ばしたパンチが相手の顔面、ボディに当たると、ものすごい破壊力。
村田もゴロフキンとスパークリング(顔面にガードを着けての練習試合)して、強烈なジャブにびっくりしたそうです。
だから、少ないパンチ数でKOします。猛ラッシュなんか必要ありません。
そのくせ、スポーツ無縁のまじめサラリーマンみたいな風貌。
こんな強敵に挑んで村田に勝機があんのかな・・・
ぼくはゴロフキンの強さに惚れてるし、村田が彼を打倒すればすごいし、とにかく、その日が待ち遠しいです。



[191] 「卒業式の日」第6章(最終章) 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/14(Sat) 11:05

あとがき:
卒業式の数日前、担任の先生から「小学校生活を振り返り、思い出に残っていることを書きなさい」と言われた。小学校生活を締めくくる卒業記念の作文である。そこで、みなさっさと何か書き始めたが、ぼくは何も書くことがなかった。
その時ぼくの心に浮かんだことはただ一つであった。長かった6年間の思い出といっても、浮かんでくるのは前日に初めて知った、ある一つのことのみであった。昨日知ってから、そのこと以外何も考えることができなかった。
しかし、どう考えても、それを紙の上に書き表し提出するなんて絶対にできない相談だった。それで何も書くことがなく、しばらくボンヤリしていたが、何か書かなくてはならないので、慌ててまったく違うことを書いて出した。
この作文には、そのただ一つのことが登場する場面がある。ぼくには、当時の自分の本当の気持ちを書き表すことができたという満足感がある。
結局、永遠のお別れはそうではなく、大人になって会うことができた。ぼくはあの日の無念を晴らすことができたのだった。以上



[190] 「卒業式の日」第5章 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/14(Sat) 09:29

帰り道はA君と一緒に歩いた。正門前の横断歩道を渡り、しばらく黙ったまま歩いたが、おしゃべりなぼくが黙っていることが窮屈に感じられ、他に適当なことが浮かばなかったので「Eだけ泣いてへん。いやな奴や」と言うと、勢い涙声になった。A君も「こんな時ぐらい、みなと一緒に泣いていくもんや」と同じく涙声で憤慨してくれた。
心の中は、つい今しがたF子さんとお別れしてしまったことを噛み締めるような心境だったが、親友にもそれを打ち明けることはできなかった。
それからA君とも別れて我が家へ向かったが、式の中で不覚にも泣いてしまったので母と顔を合わせづらく、近くの公園でしばらくボンヤリ過ごした。しかし、他に行く宛もなく、お腹も空いてきたので、仕方なく家に帰った。母は怪訝そうな声で「遅かったね」と言うのみであった。
遅い昼食を食べながら、6年生の一年間はあっという間に過ぎたと思った。6年生は最上級生と呼ばれていた。その言葉には、学年が最も上ということだけでなく、まじめな学習態度、規律正しい生活習慣などいろいろな面で下級生の手本という意味が込められていた。自分もそうならなければという緊張感とともにスタートしたこの一年も、特段の進歩、成長を遂げることなく、あっという間に過ぎてしまった。朝寝坊の癖も食べ物の好き嫌いも直らなかった。
それから、目前に迫った中学生活のことを考えた。黒の制服制帽、頭は丸刈り、ランドセルからカバンへ、勉強は算数が数学へ、習ったことのない英語の勉強も始まる。中学生は大人のように体が大きく、ひげが生え、声変わりもする。自分もあんなふうに成長できるのだろうか。
それから、別の小学校からどんな奴らが来るんかな。●●小のぼくらより優秀やったら悔しいなと思った。一方で、ステキな女の子がいたらええのになという期待感も湧いた。
ぼくらが卒業した1970年3月は、ちょうど大阪万国博が大変な盛り上がりの裡に開幕した。中学生になったら一人で行こうと思った。中学生になって親に連れられて行くのでは情けない。一人で電車に乗って行動できなければと思ったのである。当時としては、たかだかその程度のことが大きな冒険に映ったのであった。終わり 〜第6章(最終章)へ続く



[189] 「卒業式の日」第4章 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/14(Sat) 07:56

さて場面を元に戻そう。ぼくが教室を出、廊下から振り返ったところである。
そういえば、おとといはB君が、引っ越しの時は見送りに行くと言っていた。それを聞いてぼくは、いかにもB君らしい思いやりと感心する一方で、女の子の見送りなんて恥ずかしくないのかなという気もした。
しかし、内気なぼくは到底そんなことでけへん。そやから今日この場限りだ。この場を離れてしまえば、それきりもう二度と会えないだろう。
だけどもう行かなあかん。こんなとこでいつまでもグズグズしてる訳にいかへんから。仕方ない。仕方ないからもう行こう。
ぼくは激しく込み上げる悲しみをこらえながら歩き出したのだった。
さようなら。二年間ずっと、今日までずっと好きやったのに。
ぼくはただモジモジした片思いしかできなかったけれど、これが憧れのF子さんと永遠のお別れをした最後の瞬間であった。
暗くひんやりとした廊下と階段を早足で通り抜け正門に下りた。正門では先生方が拍手で我々を見送ってくれていた。
ぼくは担任の先生の前で照れくさく、うつむいて先生の腕の下をくぐり抜けた。
外は雲一つない快晴で、春らしくポカポカしていた。
今いったい何時頃かなと思った。今日だけは時間割などなく見当が付かなかったが、そろそろお腹が空いてきたので、昼近いのだろうと思った。〜第5章へ続く



[188] 「卒業式の日」第3章 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/14(Sat) 06:10

F子さんのことは先週の、とある授業中に担任の先生から説明があった。
ここで場面は変わるが、その時のことについて若干触れておこう。
先週のある日の授業中、先生は最初誰のこととも言わず「これから大事な話をする」と言われた。大事な話と聞いてぼくは緊張した。すると先生は「みなさんは卒業後は⭕⭕中学に進学する」と言われ、そのまましばらく黙ってしまわれた。
ぼくはあまりにも当然すぎることに唖然とした。
●●小学校のぼくらは⭕⭕中学に決まっている。先生は何のためにそんな分かりきったことを言われるのか・・・ずいぶん思案した末「先生はきっと、中学生になったらもっと勉強しなさいといったお説教でも始めるのであろう」そう推測し、合点がいったように思えた。
しかし、話の内容は違っていた。しばらく間を置いた後、先生はF子さんのことを話し始めたのである。彼女は卒業と同時に遠く中国地方へ引っ越していくことになったという。「残念ながらみなさんとお別れせなあかんのですよ」
ぼくはやっと先ほどの不可解な言葉の意味が分かった。一人だけ遠く離れることを強調するための前置きだったのだ。
先生は黒板の前を右へ左へ行き来しながら説明を続け、それが終わると本人に挨拶させた。彼女は立ち上がりハキハキした口調で短く挨拶した。
やがてその時間が終わり休み時間になると同時に、多くの女の子がワイワイガヤガヤ騒ぎながら彼女の席に駆け寄って行った。
その日から卒業式まで残りわずか一週間を切っていた。ぼくはどうしても、その残り少ないことを思わずにいられなかった。〜第4章へ続く



[187] 「卒業式の日」第2章 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/13(Fri) 21:17

式が終わり、いつものように男女一列ずつ隊列を組んで教室に戻った。
教室では担任の先生から卒業証書を頂戴し、これですべてが終わったという感慨に浸っていたところ、今から通信簿を配ると言われハッと驚いた。最後の学期末も今まで同様、通信簿をもらって当然であるが、今日は卒業証書のことばかり気を取られていたのですっかり忘れていた。いつもの学期末は成績が気になってドキドキしながら待ったものだ。
成績は意外なほど悪かった。しかし、それはもうどうでもよかった。中学生になったら勉強も一からやり直しだからだ。
通信簿ももらいすべてが終わると、先生は教室の入口に立ち、ぼくらを見送るために先に正門に下りていくと言われ教室を出られた。
同時に一同立ち上がったが、見渡すとみな泣いていた。女子はお互い集まり顔を寄せあった。男子は黙って棒のように突っ立っていた。ぼくは友人のA君と黒板から少し離れた辺りでウロウロしていた。周りにはB君、C君、教室の一番後ろには一番背の高いD君らがいたが、彼らもみな目を腫らしていた。
そうこうするうち後ろからE君が歩いてきた。彼も泣きそうな表情だったが、何か冗談をつぶやきこらえていた。彼は黒板の前をスタスタと早足で通り過ぎ、真っ先に教室を出て行った。
それから他の生徒もぼつぼつ帰り始め、ぼくも重苦しい雰囲気にいたたまれず、A 君に「いつまでおってもしゃあない。もう帰ろ」と促し教室を出た。その言い方は重苦しさを振り払うために怒鳴るような口調になっていた。
教室を出、廊下から振り返ると、泣いているF子さんの姿が見えた。〜第3章へ続く



[186] 人から借りた作文 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/13(Fri) 20:05

先日、同年代の知人から小学校時代の思い出の作文を見せてもらいました。思い出の重なる部分もあり、投稿したくて貸してもらいました。もちろん、投稿に当たってプライバシー保護のため伏せ字にしました。ご参考までに。A4版で4枚ものですので、6章に分けて投稿させていただきます。では早速。

タイトル「卒業式の日」

第1章

小学生の頃を振り返り一番印象に残っているのは何かといえば、卒業式の日のことである。
卒業式は体育館で行われた。20年前の最初の同窓会で、体育館は完成したばかりで、ぼくらの卒業式で初めて使われたと聞いたが、ぼくにはそのような記憶がない。そう言われればそうだったような気もするが、ぼくにはもっと違うことが印象深く残っている。
式では卒業証書はクラスの代表者だけが校長先生から授与され、ほかの生徒は後で教室で担任の先生から渡された。授与されたのは、代表するにふさわしい優等生であった。数日前の予行演習で先生から指名されていた。
男女1名ずつ、5クラスで10名だけだった。ぼくは悔しい気持ちだった。時間が限られていると自分に言い聞かせたが、晴れの舞台で授与される者は特別扱いで、後で教室で配付される、自分を含めたその他大勢とは雲泥の差だと思った。
余談だが、その後経験した卒業式では全員が式の中で授与された。こだわりの部分が違っていたので驚いた。
式は特段の感動もなく淡々と進んだ。校長先生のありがたいご訓示も退屈で、聞き終わると同時に何の話だったか思い出せなかった。いつも朝礼で聞いていたお説教と同じような内容だったので退屈に感じたのだった。
式は進み、最後に「仰げば尊し」と「蛍の光」を斉唱した。ピアノの伴奏とともに「アオーゲバートオートシーワガーシノーオン〜〜、オシーエノーニワーニモーハヤーイクートセ〜〜」と歌い出し、先生の選曲で先生を讃える歌を歌うなんて何だか変だと思ったのも束の間、急に込み上げ涙が出た。後ろの父兄席にいる母に見られてカッコ悪く恥ずかしかったが、涙は止まらなかった。〜第2章へ続く




[185] 至誠 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/11(Wed) 08:37
昨日、至誠第62号が届きました。
各期の活動報告を楽しく読ませていただきました。
現校長、前校長の挨拶文も拝読しましたが、顔写真を見る限り、ぼくらより年下か同じでしょう。
平成27年度の会費納入者名簿も見ましたが、ここしばらく払っていないぼくにとっては辛かったです。
平成32年は学校創立100周年とか。精力的に準備をされてる方々に敬意を抱きながら、何もしない自分は恥ずかしいです。
28同期会のご案内も拝見しましたが、足の回復が思わしくなく、電車に乗ることもままならない身でして、開催日までに回復することは難しいと思います。残念ですが。



[184] 昨夜のボクシング世界防衛戦 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/09(Mon) 10:19

昨夜はライトフライ級世界王座の八重樫東(あきら)とスーパーフライ級世界王座の井上尚弥(なおや)の両防衛戦を見ました。
第1戦は、八重樫もメキシコ人チャレンジャーもパンチ力がなく、延々ノーガードで殴りあってましたが、ダウンシーンはなく僅差の判定で八重樫が防衛しました。実質、平凡な試合でした。きつい論評ですが、八重樫はKO勝ちが少なく、敗戦もいくつかあり、昨日は運よく勝てました。
一方、井上は父親の指導で小学校1年生からボクシング修行を始めました。強烈なパンチ力でプロ戦績は10戦10勝うち8KOです。昨夜の試合は粘るメキシコ人挑戦者相手に終始優勢でしたが、最終12ラウンドでボッコボコにしてダウンを奪い、相手は試合終了の鐘でからくもKO負けを免れました。昨年末の防衛戦とそのまた前の防衛戦では一方的に早いラウンドでKOしたことからすれば、ちょっと不満でしたが、まだ23歳、もっと強くなって楽しませてくれることでしょう。



[183] 人類の歴史 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/08(Sun) 08:45

おはようございます。
薬の関係で昼寝、夕寝が長く、夜寝が短く目覚めが早い毎日です。トータルでは一日7、8時間ぐらい寝られて、内臓は健康です。
さて今朝の話題は、ぼくがすごく興味ある人類の歴史です。
以前大きな本屋をウロついても、この種の本はほとんどなかったです。ということは、世間の常識人はあまり関心ないのでしょう。
何百万年の歴史をまとめた学者の論文は膨大ですが、初学者のぼくが知る限りのことを簡単に書いてみます。
1000万年以上前、アフリカのジャングルにいた霊長類(要するにサル)はゴリラ、オランウータンとチンパンジーでした。
700万年前、チンパンジーが枝分かれして最初の人類が誕生しました。特徴は直立二足歩行でした。普段はチンパンジー同様、樹木の上で生活してましたが、時々下りてきて草原を二本足でウロつきました。どうして、そんなことをしたのか?
まだ定説になってませんが、島泰三という霊長類学者の説は、肉食動物が食べ残した骨を拾い集め、また骨を叩き割る石も拾い集め、石で割った骨を噛み砕きながら食べたといいます。骨にはカルシウムはもちろん、たんぱく質、脂質、ビタミン、ミネラルなど、およそ必要な成分は揃っており栄養の宝庫でした。草原に転がっている食べ残しの骨に目をつけた初期人類は木から下りて骨食を始めました。何かの事情でそれまでの食料を失った初期人類は他の動物が捨てた骨を拾って新たな食料としたと島さんは唱えてはります。
その証拠は歯と手にあります。霊長類はそれぞれ、自分の都合でそれらの形質を変えてますが、人間の歯は霊長類で一番硬く、正に骨食に向いてます。手はフリーになって骨と石を拾い集めるのに好都合です。
初期人類は猿のようなヒトという意味で猿人といいます。脳はチンパンジーと変わらず400CCでした。やがて直立した下半身はより丈夫になり原人となりました。北京原人などアフリカを出て暮らす種族もいましたが、やがて絶滅しました。それから頭脳も大きくなり、旧人へと進化しました。そしてわずか15万年前、東アフリカで頭脳も身体全体も現代人と同じ新人(ホモサピエンス)が誕生しました。なお同じ時期にネアンデルタール人という似たような新人も誕生しました。頭脳は我々の1400CCより100CC大きかったですが、寒さに弱く、喉の構造から言語を発することができなかったと言われてます。いずれにしろホモサピエンスとの生存競争に敗れたのか2万年前頃、絶滅しました。
話をホモサピエンスに戻しまして、6万年前、中東へ渡り(出アフリカといいいます)、アフリカと気候が似かよった南ヨーロッパ、インド、東南アジア、北オーストラリアなどへは早く到達しました。寒い気候では、紫外線でビタミンDを合成する必要から肌のメラニン色素を抜く必要があり、なかなか北進することができなかったといいます。
アジアから北進してアラスカに渡り、南下してアメリカ大陸を制覇し、最後、船でハワイなど太平洋の島々へも2000年前頃上陸し、地球にあまねく広がりました。
この過程でアフリカ大陸になかった米、麦、芋、トウモロコシ、砂糖などの炭水化物(糖)の栽培を始め定住生活に移行する種族が多くいました。現代では食料となる動物を追い求めて移動生活する種族は稀です。
元々アフリカ人だったホモサピエンスは暑い土地では紫外線から身を守るために相変わらず肌にメラニン色素が多く色黒です。寒い土地ではビタミンD合成の必要から、紫外線を取り込みやすくするため色白になりました。日本列島辺りは中間地点だから中間色(黄色)です。それぞれの気候にあわせて肌の色を変えてる訳で、人類は移住地に要領よく適応している器用者といえます。
これらは書籍とインターネットで学者から教えてもらったことですが、ついでに学者が言うには、大航海時代から西洋は他の地域を植民地にしていき、抵抗する原住民を殺戮しました。生き残った原住民も悲惨な労働を強いられました。例えば、オーストラリアの原住民アボリジニは襲来したイギリス人によって、おもちゃの如く殺されました。高い崖っぷちに追い詰められ、突き落とされました。あってはならぬことですし、言うこともはばかられますが、征服者の残虐な殺戮が事実である以上、言われても仕方ないことです。
なお、オーストラリアを征服したイギリス人は白色だから紫外線に弱く、皮膚がんがアボリジニの30倍も発生しています。解決するには、おとなしくイギリスに帰ればええだけです。
また朝っぱらから長々と口舌を垂れ流して失礼しました。



[182] 長髪 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/07(Sat) 13:12

一昨年倒れてから、ろくすっぽ散髪せず、退院した去年4月からも2回行っただけです。そのうち路上で転倒し、頭部に軽傷を負ったので長髪が身のためと思い、散髪するのを止めました。ということで、白髪で長髪で、ちょっと異様に見えるらしく、地元の集まりでも親族からも一度切ったらと言われる始末ですが、現在、生まれて以降、最長というのもイメチェンで意外と気分ええもんです。これも、お堅いサラリーマンではできなかったし、プータローらしいと気に入ってます。人前に出る職業ならミュージシャンとかジャーナリストなら 似合ってるでしょうが。
女の人ならまだ短いぐらいだから、まだまだ伸ばすつもりです。



[181] 激動しつつある世界と地震国日本 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/07(Sat) 09:15

アメリカ大統領選挙の候補者が絞られてきたようです。新大統領が決まったら日本への影響もあるでしょう。一方、東アジア近辺はきな臭い動き。島国日本も安閑としてられないと思います。
足下は地震、火山の頻発。日本列島は地質的にそれらの巣らしく、次にどこで発生するか分かりません。ちょっと批判的ですが、30年以上前から東海沖地震の発生確率が一番高く要警戒と言われ、最近は東南海、南海とエリアを広げてましたが、全部ハズレ。確率0〜6%と学会が軽視した熊本で今回起きたし、東日本も中越も、中越沖も、阪神淡路も、奥尻島も全然気象庁の予測なく来ました。予知だか予測なんて国民に誤解を与え、無駄な国家予算を費やすだけだから、もう止めて、起きた時に迅速に救援などの対応をする体制整備に尽力すべきと識者が言ってました。



[180] 岡本夏生 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/05/01(Sun) 08:02

近頃あの元気印の岡本夏生がテレビのインタビューに答え「デビュー30年、年齢50歳になって、ほぼほぼ引退します。テレビでわたくしを見られるのも最後ですよ」と会見をされてました。直接の原因はテレビ共演者との番組に関するイザコザがあったようです。ほぼほぼというからには、そのうち何かのきっかけで再登場する余地もなくはないと思いました。
そのインタビューの時の岡本さんはショートヘアと薄化粧で実に清楚な感じがしました。地肌は浅黒いですが、ちっとも悪くありません。ハイレグ、厚化粧、過激な発言でテレビを賑わせてきた姿との変わりように、ぼくの感性からすると、ずっと美しく見えました。
特定の芸能人に限らず、長年思ってきたことですが、女も男もすっぴんでええと思います。テレビ画面から流れる大量の化粧品のCMにウンザリしてきたこともありますが、そういうすっぴんのお顔って、けっこう良く見えるもので、むしろゴテゴテ塗りたくった顔は気持ち悪いです。
男もそうです。ぼくの場合、まじめなサラリーマンでしたから、髪は短くし、整髪料をつけて分けてましたが、プータローになってからは伸ばし放題です。自分の顔を鏡で見て、オデコや目の周りにけっこうシワがありますが、ツルツルの肌で細目だった若い頃より気に入ってます。
人の好き好きですが、ぼくはすっぴん歓迎、ナチュラル素晴らしい、そう思います。
女の話に戻りますが、ヘアは櫛だけ化粧は無しでなんら悪くないと思います。
理容・美容業界、化粧品業界に嫌われますから、このへんにします。



[179] 恋はみずいろ 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/30(Sat) 07:18

「恋はみずいろ」という曲は小学校5年生のときに父親のかけるFMラジオでよく聴きました。リスナーのリクエストに応え違う番組に変わっても流れ続けました。ポールモーリアの美しく軽快な、いわゆるイージーリスニングで、音痴のぼくが聴いても素晴らしいと感嘆しました。
それから、ぼくはずっとこの曲はポールモーリアの作曲と思い込んでました。
ところが数年前、ポールモーリアの楽曲集を見ると、自作とはなってませんでした。
おかしいなと思い、Wikipediaで検索すると、フランス人作曲家の作品と分かりました。詞もフランス語で、ギリシャ人の10代の女性歌手ヴィッキー・レアンドロスがヨーロッパのコンクールで歌って4位に入ったと説明がありました。
その後ポールモーリアが洗練された曲に仕立て直し、アメリカで連続5週1位の大ヒットとなりました。
そんなん知らんかったと驚きました。ヴィッキーの歌う本歌は動画サイトで聞くことができます。イントロがちょっとダサいけれど、やはり美しいと思います。どうしてこんなええ曲が最初世に出たときに4位だったの?と不思議です。
ところで以前岡村孝子の「夢をあきらめないで」が好きと書きましたが、ついでにこれもWikipediaで調べると、1987年、世に出たときのオリコン最高順位が50位だったとか。人の好き好きでしょうが、こんな名曲がそんな平凡な受け止められ方しかされなかったのかとビックリしました。
毎度、自分勝手な雑文の投稿すみません。



[178] ゲンナディー・ゴロフキン防衛戦 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/29(Fri) 07:39

ボクシング世界ミドル級チャンピオンのゴロフキンの強さはナンバー[166]に書きましたが、16度目の防衛戦がロサンゼルスで4月23日に行われ、今朝ネットで見ました。とにかく面白い試合でした。対戦相手のウェイドと並べて動画検索すれば見ることができます。ごちゃごちゃ説明するよりも見たほうがええので、興味のある方はご覧ください。


177] オリンピック考 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/27(Wed) 16:34

今年のリオデジャネイロ、4年後の東京、オリンピックとパラリンピック、そんなに大騒ぎするものでしょうか?
4年ごとの夏季、それを2年ずつ跨いで冬季。その都度大騒ぎして、お疲れ様と思います。
開催ごとに競技数が増え、商業主義にまみれ、会場その他でコストは増えるばかり。
選手は懸命に出場したがり、メダル獲得の夢を追い、人生すべてをオリンピックにかけるかのように必死です。
今週もたかが東京のエンブレムが決まったとかでマスコミは大きく報道してました。
確かに何かのスポーツで世界一を競う大会があってよいと思いますが、世界選手権、ワールドカップ、その他伝統ある大会があるなら、オリンピックの競技に加える必要などないと思います。
ぼくはゴルフが好きで、よくテレビ中継を見ますが、国の代表2選手に選ばれたいとプロゴルファーも頑張ってると言います。すでに日本でも世界でも大きな大会があり、高額な賞金も得られるのに、今年のリオデジャネイロオリンピックから種目に加えられると決まれば、それに向かって頑張る。
そんなにオリンピックってええの?どんな魅力があんの?ぼくには不思議な魔力に取りつかれているように思います。
運営面では莫大なコストを費やさなければなりませんが、原資のほとんどは税金でしょう。そんな遊び事(失礼)に費やすカネがあるなら、震災復興とか教育など真面目な使い道はいくらでもあります。
ぼくの結論はできるだけ競技数や会場その他コストは削減し、大金が動くテレビ中継などの商業主義も排し、簡素なかたちに戻せばええと思います。



[176] 合唱団 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/21(Thu) 10:41

昨日に続き音楽の話題です。
ナンバー[167]で友人にすすめられ、いろんな動画サイトで合唱曲を聞くようになった、それが一つの趣味だと書きましたが、実は知人の紹介で南河内のある中年主体の合唱団の発表会に聴きに行きました。多人数による、なかなかの声量で実に楽しそうに歌ってました。うまくても下手でも伸び伸び歌う姿に感動しました。聴衆も多く、こういう分野にも愛好家がけっこういるんだなと感心しました。



[175] 岡村孝子 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/20(Wed) 07:42

先頃ナンバー[167]に好きな曲の一つとして岡村孝子の「夢をあきらめないで」を上げました。
ぼくはこの人の曲はそれ以外にもたくさん聞いてます。なぜかというと、どの曲も親しみやすく、しかも、じーんと来るサビというか盛り上がる部分があるからです。
だから特定のヒット曲のみならず、どの曲も好きです。
よく大ヒットがあるかわりに、平凡な曲も多い作者がいるものです(失礼)。むしろそれが普通と思います。
岡村孝子はよほど才能に恵まれた人と思います。
P.S.熊本周辺では昨日も今朝未明も震度5の地震が起きました。大変な時期に、のんびりした趣味の話で失礼しました。



[174] 女子サッカーの澤選手 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/12(Tue) 07:54

今日も朝っぱらから失礼します。
いろんなスポーツに感動してきましたが、昨年末引退した女子サッカーの澤選手はとりわけ忘れ得ぬ人です。
もう5年前のことですが、なでしこジャパンが2011年WCドイツ大会の決勝戦で大本命のアメリカ相手に土壇場で澤選手のミラクルなゴールで同点に追い付き、PK戦で勝った試合は日本中に感動を与え、取り分けキャプテンの澤は称賛を浴びました。
ぼくが澤選手の存在を知ったのは、その快挙の数年前、夜のスポーツニュースで女子にもサッカーという競技があるという紹介コーナーでした。へえ〜、そんなんあるんや、といった程度の軽い関心というか興味を持った程度でした。そのコーナーで澤選手が日本のエース級の選手として登場してたので、女子サッカーといえば澤選手と覚えました。
しかし、日本の女子サッカー界は選手層が薄く、国際試合でたいした実績もなく、認知度は低かったと思います。
そういうことから、ぼくはこの選手はものすごく頑張って練習や試合をしてるだろうけれど、たいした実績を残すことなんかできないだろう、世界の壁は高く厚く、日本女子サッカーが世界の大舞台で活躍する日が来るなんて考えられない、と見捨てるような思いで眺めました。
ところが、あの快挙。ぼくはテレビのスポーツニュースの空き時間の埋め合わせのような扱いで紹介され、報われない競技、選手として眺めていた自分のことを思い出し、恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。



[173] マスターズゴルフ 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/11(Mon) 10:40

日本時間今朝8時過ぎ今年のマスターズゴルフ(舞台は米国ジョージア州オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ)が英国人プロの優勝で幕を閉じました。長年この中継を見てきたぼくの目にも大興奮させる最終盤のドラマがありました。
以下3つの項目に分けて説明します。
1)4日間大差でトップを走ってた米国人若手プロが4日目の後半、12番ホールで池ポチャで大叩きし、大逆転で2位に終わりました。
2)日本人プロの松山英樹が健闘し7位に入りました。24歳と若く、米国を主戦場にしてますが、もうツアー2勝を上げ、米国でも一流との定評を得てます。体格、飛距離、方向性など素人目にも並みのプロとは違います。特にパッティングの上手さは米国一のデータを誇ってます。尾崎、青木、中嶋など日本のトッププロが果たせなかったメジャー制覇を果たせる日は近いでしょう。メジャーとはマスターズゴルフの他、全米オープン、全英オープン、全米プロの4試合で、毎年、試合が行われてます。なお全米プロ以外の3試合はアマチュアも出場可能ですが、才能ある若手アマがメジャーで優勝したところで、たいして驚くことではありません。幼児期からの英才教育は他のスポーツ同様ゴルフも例外ではなく、たまたま高校、大学に在学中でアマだったというに過ぎないからです。とはいえ、そういう若さで並み居るベテランプロを押しのけて優勝する人は才能に恵まれてる証拠で、石川遼も世界の大舞台で戦っていけるでしょう。
3)世界トップ3に入る大活躍中のオーストラリア人プロのジェイソン・デイ(28)は母親がフィリピン人、父親がオーストラリア人で、見た目日本人と区別がつきません。今回のマスターズゴルフでもまずまず活躍しましたが、この人、日本の芸能人の国分太一と顔がよう似てるんですよ。ジェイソン・デーがマスターズなどで活躍し始めた数年前に、国分とそっくりさんやと思いましたが、ネットなどでそういう評判はなく、ちょっと残念です。他人のそら似で有名人はなんといっても、阪神タイガースの岩田投手とココリコの遠藤でしょう。ぼくはずっとそう思ってたのですが、テレビ番組で二人が登場、周囲の出演者が、君らよう似てるわと笑いを誘ってました。本人同士もそのことを自覚しており、同じ大阪人ということもあり、兄弟(遠藤が年上)同様の付き合いをしてるとか。
マスターズゴルフの話が最後逸れて失礼しました。



[172] 将棋の続き 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/08(Fri) 08:21

たびたびの投稿(落書き)をお許しください。
昨日の将棋で書き落としたことがあります。
それは羽生善治名人の屈辱的な敗北です。
それは2回ありました。
その1は、森内俊之九段に永世名人位を先んじられたことでした。
二人は同い年で、小学生時代からデパートなどの子ども将棋祭りでいつも顔を合わせ、どちらかが優勝するという強豪同士のライバルでした。共に小学6年生でプロ養成機関の奨励会に入会しました。羽生のほうが一歩先んじ中学3年生で四段昇段、正式なプロ入りを果たし、先輩棋士を次々倒し、最高峰の名人位を24歳で獲得、以後も防衛し計4期となり、永世名人位獲得まで後1期に迫りました。
戦後の実力制名人は14世永世名人木村義雄、15世大山康晴、16世中原誠、17世谷川浩司ときて、誰しも18世は羽生と疑いませんでした。ところが、そこから猛烈な勢いで森内が勝ちまくり、18世名人となりました。
森内はプロ入り(四段昇段)が羽生に遅れをとったものの高校2年生と早く、羽生との対戦成績も勝率4割5分と比較的拮抗してました。しかし、まさか名人戦で逆転するとはプロ仲間もファンも考えなかった快挙でした。しかし、断然優位だったところから追い抜かれた羽生の落胆やいかに。森内の快挙を称えるインタビュー記事は多かったですが、当時の羽生の心境にはあまり触れてません。
ところが、羽生は腐る様子もなく淡々と指し続け、森内名人の挑戦者となり、とうとう2008年春19世名人となりました。とんだ番狂わせでショックのあまり負けが込み、馬群の中に沈んでいくかと心配しましたが、森内との敗北原因を分析するなどして一回り強くなった感があります。
昨年度までの名人位獲得期数は羽生が9、森内が8で、二人の勝率は羽生55、森内45と相変わらずです。だから、森内も抜き返されたものの、努力していい勝負を続けてます。
その2は、渡辺明竜王に竜王戦で3連勝後4連敗して永世竜王位を逃したことでした。
ここで初めて渡辺明(今月中に32歳)という棋士が登場したので、若干紹介します。渡辺は小学4年生で、デパート主催の小学生名人戦で優勝しました。その大会で優勝か準優勝してプロ入りした先輩は羽生、森内など多数いますが、みな6年生でした。4年生の優勝は渡辺だけです。渡辺は奨励会にすぐ入会し、中3でプロ入り(四段)しました。中学生でプロ入りできたのは、加藤一二三、谷川浩司、羽生、渡辺の4人だけです。いずれもタイトルを獲得した経験のある天才ぞろいです。
渡辺は竜王戦にめっぽう強く通算10期獲得し永世竜王も獲得してます。ちなみに羽生が6期、森内が2期です。
話は戻って、3連勝後の4連敗は将棋界では初めてで、しかも負けた棋士が羽生ということも大変な驚きというかショックを与えました。
羽生は以後も竜王位を取れず、永世位に後一歩のところで足踏みしてます。竜王戦の永世位規定は5連覇か通算7期なので、通算6期の羽生は挑戦者まで毎年いいところまでいくか、挑戦して渡辺に負けるかして永世位はなかなか手が届きません。
羽生と渡辺の通算対戦成績は羽生から見て現在32勝34敗で、羽生に対して勝ち越してる棋士は渡辺だけだから、やはり天才の証明です。
今から13年前、渡辺に対して屈辱の敗北を喫して羽生はどうなったか?対森内と同様、全然臆することなく戦い、他の期戦
で渡辺を退けてます。
羽生は攻めも受けも強いですが、どちらかというと攻め将棋です。だから、おそらく気が強く、しかも大敗した経験を冷静に分析する能力にも、たけていると思われます。
また長々と勝手な話題を投稿してしまいました。ご勘弁を。



[171] 将棋 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/07(Thu) 17:42

ぼくは小学生の頃から将棋が好きで、若い頃は新聞将棋を愛読してました。ところが、プロの団体の日本将棋連盟もホームページを作ったので、10年ぐらい前からこのページを読むようになりました。
プロのタイトルは7つありますが、一番古く伝統あるタイトルは名人です。江戸時代からあるのは唯一名人だけです。プロ将棋の現役棋士は約150人いますが、プロデビューして最下層のリーグに入れてもらい(段位は四段)、だんだん勝ち上がってA級に到達し、A級リーグ戦でトップになると翌年度の名人戦の挑戦者になれます。
名人戦は4月から5月にわたり現名人と挑戦者によって7番勝負で争われます。ちょうどプロ野球の日本シリーズと同じく先に4勝した者が新しい期の名人となります。
ところで、現名人は羽生善治(45)です。戦後、それまでの世襲制から実力制に変わって、木村、大山、中原、谷川など並み居る天才名人が現れましたが、羽生は通算勝利数はまだ大山に追い付かないものの、通算タイトル数、通算勝率などの指標で史上最強の棋士と言われてます。羽生は7タイトル独占を果たしたこともあり、現在も名人をはじめ4つのタイトルを保持してます。プロ昇段が15才、初タイトルが19才、以後現在まで無冠に落ちたことはありません。
将棋の序盤戦は、この戦形になったらこう指すと、長年多くのプロ棋士によって研究され、それは定跡と言われてます。だからプロ将棋の序盤戦は定跡をなぞることが多く、だんだん進むうち棋士の個性や作戦によって未知の戦いに突入し、最後同じ決着になることはありません。
昨日一昨日の2日間、今年の名人戦の第1戦が東京のホテルで行われ、序盤、挑戦者がやや有利と言われてましたが、百戦錬磨の羽生は中盤から盛り返し、見事に勝ちました。
挑戦者の佐藤天彦(あまひこ)八段(28)は最近めきめきと強くなり、今回の名人戦でタイトル戦3回目の登場ですが、過去2回いずれもタイトルホルダーの羽生の巨大な壁に跳ね返されてます。善戦してもタイトルに手が届かない普通の一流棋士が多い中、佐藤八段も今回の名人戦で負けてしまえば、負け癖がついてしまい、そういう運命を辿ることになってしまう悪い予感がしてしまいます。
タイトル戦の控え室には多くのプロ棋士が詰めかけ、知恵を出し合い、読み筋を披露し合い、どちらが有利かと判断します。プロの考えることは似たり寄ったりで、大勢の判断が当たることが多く、羽生も不利と判断されて、それでも勝つことは少ないですが、そこは将棋の天才、多くのプロが思い付かない手を発見してることがママあり、勝ってしまうことがあります。プロ仲間の間で羽生マジックと言われてます。そういう大逆転のような勝ち方に魅せられ、ぼくも羽生ファンになって20年以上になりました。



[170] テレビとインターネット 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/05(Tue) 15:11

ぼくはいつ頃からかテレビが嫌いになりました。やたらCMが多く、なんの関心もないCMなのに強制的に繰り返し見せられてうんざりしてました。
ところが、ずいぶん昔のことですが、チャンネル操作のリモコンが登場したので、CM中はチャンネルを替え、そろそろという頃合いに戻しました。そういう視聴者が多いと思います。だから視聴率なんて意味ないと思います。CMを見てくれる視聴者がいないから、視聴率が高いとか低いとか関係ないと思います。たぶん視聴率が高いとスポンサーの契約金は高いという仕組みは今も変わらないと思いますが、どうせCM中はチャンネルを替えられてるのだから、そんなものに大金を払うスポンサーが今もいるなんて、ちょっと信じられません。
最近のプロ野球中継なんかCMが終わると次の回の1アウトになってたりして、あまりにもバカらしくてテレビ中継に嫌悪感すら覚えます。ということで、テレビ嫌いは直りそうもありません。受信料は不満ですが、NHKは良い番組をCM抜きで見ることができ、大変ありがたいことです。
ところが、もう10年ぐらいになりますか、インターネットが現れ、いろんなWebや動画サイトをCM抜きで楽しめます。
しかも、内容的にネットニュースはテレビや新聞をはるかに凌駕してます。いろんな専門分野のジャーナリストや学者が自分自身の足で取材したこと、経験したことや、専門知識、自分の意見を誰に気兼ねすることなく、堂々と言ってくれるから、分かりやすいし、ぼくの考えもしっかりしてきます。単なる原稿読みのアナウンサーなんか初音ミクか、ふなっしーで事足ります、失礼ながら。



[169] 自宅のリハビリ 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/04/02(Sat) 07:48

毎度お騒がせの小林プータローです。久しぶりに我が病状について報告します。
心筋梗塞で緊急入院(1ヶ月)→リハビリ病院(5ヶ月)→退院、自宅近くの病院へ通院という経過をたどり、かれこれ倒れてから1年半近くになりました。
現在の病院で検査の結果、心臓は多少傷物だが、まずまず大丈夫と内科医から言われております。
問題は心肺停止で小脳細胞が一部壊死し、言語、手足に後遺症が残ったことでした。
言語は最初から比較的マシと自覚してましたが、先日久しぶりに電話した知人から開口一番、入院時よりずいぶん聞き取りやすくなったと言ってもらいました。退院後も電話などで声を出す機会はあり、退院即回復ストップという訳ではない模様です。
次に手は特に字を書く練習をしてないですが、市役所で手書きの申請書に書く字が、これも最近良くなって、一応見られるぐらいに回復しました。これはタブレットパソコンを毎日いじる成果でしょう。
一番の難題は足腰すなわち歩行ですが、これは逆にここ3ヶ月ぐらい悪くなり、自室内の歩行すら危なっかしくなってきました。小脳の細胞が下半身に関係する部分だけ悪化してたらどうしよう😖💧と落ち込みました。
ところが、つい先日、医者でもなんでもない友人からロコモーティブシンドロームかもと言われました。初耳で、ネット検索すると、運動不足が原因で歩けなくなるなど運動機能が落ちることで、高齢者や身障者によく見られる現象です。この冬、寒さで座り込む時間が長くなり徐々に足腰の筋力が奪われたと考えられます。そこで、音楽でも聞き流しながら、その場立ちから始めました。それだけでも触ると足腰の筋肉は固く引き締まり、そのうち片足交互に上げ下げできるようになりました。まだ、そのリハビリは一週間強ですが、眠ってた筋肉が目覚め活力を回復してきた感触があります。
一方、あまり言いたくないですが、ぼくの後遺症を誤診したり、その病名を不治の病と言ったり、患者の目も見ず脳MRI写真だけしか見ない無口な脳外科医師。まさに踏んだり蹴ったりでした。誤診であることは有名病院のホームページなどで確認できます。
繰り返しになりますが、医師でもない友人がぼくの動作を眺め、かつ問診みたいに症状や生活のことを聞いてくれる中でリハビリの道を発見した、あるいは発見してくれたと言えます。



[168] 花は咲く 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/03/31(Thu) 07:35

おはようございます。掲示板荒らしの小林プータローです。人から職業を聞かれ「杖ついてブラブラしてるだけのプータローです」と答えることが多いので、いっそ戸籍もそう改名しようかと思ってます。
それはともかく、前回、合唱曲が好きになり動画サイトでよく聞くと言いました。検索して前のほうに出てる曲を開くことが多く、それらを中心にお気に入りは24曲になりました。
そのうちのひとつが「花は咲く」です。どういう曲かということは説明するまでもなく、震災復興の願いを込めた名曲です。Wikipediaに詳しく載ってます。
今朝はスケーターの羽生結弦さんがリンクの上で少女から一輪の花を手渡され、いっしょに滑るシーンを動画サイトで眺め、うるうるきました。もちろん、復興が進まない、原発事故もひどいままという厳しい現実がありますが、この曲には人の心に訴えるものがあり、復興事業に携わる人々を勇気づけていることでしょう。



[167] 好きな曲 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/03/27(Sun) 08:32

しょっちゅうの投稿、失礼しております。
今朝の話題はぼくの好きな曲です。
一つが岡村孝子の「夢をあきらめないで」。これは岡村孝子曰く失恋ソングらしいですが、勇気づけられる曲としてもええ曲です。サラリーマン時代、深夜電車の中イヤホンで繰り返し聞いてました。ある時ネットで、寝る前にこれを20回聞いてスッキリして寝付くと、知らない人の書き込みを読んで、同類がいるもんだなと思いました。
次が小林明子の「恋に落ちて」。英語混じりでロマンチックなええ曲ですが、ラジオで聞いたリスナーからの思い出話がおもろかったのも印象的です。この曲がリリースされたのが1985年ですから、もう30年前の曲ですが、当時小学生だったリスナーの母親はよくリビングでピアノを弾きながら目を閉じウットリとした表情で歌ってたそうですが、だいたいどういう意味の歌詞か分かるリスナーは父親のいる前でものすごく気を揉んだそうです。「お父さんのいる時はやめて」と思ってたそうです。幼心に心配したなんて、ぼくは聞いてて笑うに笑えない気持ちでした。
もう一つがテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」です。去年、没後20年の特集番組をNHKと民放で見ました。その中で久しぶりに聞きました。これには苦い逸話があります。20年ぐらい前、職場の雑談でぼくがテレサの曲でこの曲が一番好きと言ったら、隣の女子社員がすかさず「どうしてー。テレサの曲なら空港とかつぐないとか愛人とかいい曲があるのに」と言いました。ぼくは小学生の頃から音楽の成績はずっと「2」で、すごい音痴だったから、やっぱりそうかなと、反論できませんでした。・・・ところが、さっきの二つの特集番組に戻りますが、その中で「時の流れ」が彼女の一番のヒットと紹介されてました。確か200万枚の大ヒットだったとか。20年前の逸話を思い出し、快哉を叫びたい心境でした。
長くなりましたが最後に合唱曲のことを。ずっとなんの関心もありませんでしたが、友人にすすめられ、いろんな合唱曲を動画サイトでよく聞いてます。明るいメロディーと若者たちの美しい声、ああ素晴らしい。それがぼくの趣味の一つになってます。



[166] プロボクサー、ゲンナディー・ゴロフキン 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/03/25(Fri) 06:05

ぼくは幼少の頃からプロボクシングが好きでした。今、一番熱中してる選手はゲンナディー・ゴロフキンです。カザフスタン人。33才。アテネ五輪の銀メダリスト。階級はミドル級。プロ転向後34戦34勝31KO、WBC・WBA・IBF3団体の世界チャンピオン。現在15連続KO防衛中。民族的には父親がロシア人、母親が韓国人(高麗)で肌は真っ白。ハンサムで、荒々しい雰囲気はまったくなく、見た目、まじめそうなサラリーマン風、むしろスポーツ無縁な感じです。ぼくがこの選手を知ったのは、もちろんネットです。強さの秘密はジャブです。ジャブは挨拶がわりの手を伸ばすだけの軽いパンチですが、ゴロフキンの左ジャブは強烈で、当たると相手はそれだけでのけぞってしまいます。一般的にジャブはガードを固くし、大振りしないから、打ち返される危険性もありませんが、手を伸ばすだけだからダメージはなく、KOにつながるパンチではありません。ロンドン五輪金メダリストからプロへ転向した同じミドル級の村田諒太がゴロフキンとスパークリングしたら、ものすごいジャブだったと言ってました。おすすめの試合は昨年10月17日にニューヨーク・マジソンスクエアガーデンでレミュー(カナダ人)という当時IBF世界王者を30分弱フルボッコにした最新の試合です。


[165] 修学旅行の思い出 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/03/20(Sun) 06:53

高二の確か秋に2班に分かれ南東北に行きました。
思い出深い一つが五色沼でした。五色というからには、どんなド派手な色かなと期待したのですが、例えば真っ赤とかピンクとか黄色とか色とりどりを想像していたのですが、実際行くと普通の水色にちょっとしたバリエーションがあるかないか・・・すごくガッカリしました。しょげかえって俯き黙って歩きました。クラスメートもおとなしく、たぶん似たような心境だったと思われます。動画サイトに最近の五色沼の風景がたくさん投稿されてますが、沼も周囲の木々も美しく、そういう意味では名所と思いました。沼の色は基本的に澄んだ水色です。
もう一つ、それは担任の明山先生が旅行前に教室で説明してくださった引率の経験談でした。
先生曰く「旅先でよその修学旅行生と出会うと、彼らが我が方の女子に話し掛けてくる。我が女子も愛想よく応じて、しばらく懇談する。その時の我が男子の不機嫌そうな仏頂面がおもしろい。大事な女房を取られそうな、そんな苦渋が見て取れるんですよ。普段はハナも引っかけないくせに、男のおもろい習性ですよ」
その時の旅行では、そういう場面はありませんでしたが、ぼくは先生の話がいかにもありそうと思いました。あれから40年、会社の慰安旅行とかそういう時に、そういうことがありました。トラブルとかはありませんでしたが。



[164] 札幌に転勤しました 投稿者:小野高秀 投稿日:2016/03/14(Mon) 18:08

お久しぶりです。準道産子の小野(テニス部)です。
3月1日付人事で、釧路支社から札幌本社に転勤しました。
これが最後の転勤になることでしょうね。

会社は札幌・大通の時計台のすぐ近く。
雪まつりなどで札幌にお越しの際は、声をかけてください。




[163] 初音ミクのテレビニュース 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/03/11(Fri) 06:22

ちょっとした思いつきですが、初音ミクのテレビニュースっいかがでしょうか?
原稿は裏方さんが作り、音声は人工音声で十分でしょう。もちろん、聞き取りやすくする調整は必要でしょうが、原稿読みは初音ミクで事足りると思います。補足説明や解説のために人間も出演してもらう必要があるでしょうが、原稿読みの部分は愛らしい初音ミクでええと思います。噛む心配もないし、どれくらい経費がかかるか分かりませんが、「一人」分の経費なら、おそらくアナウンサーの人件費1年分より安いでしょう。経費によりますが、初音ミクをたくさん揃えて、毎日違う顔、音声、名前(愛称)を楽しませてくれたらと思います。もちろん、ニュースの内容はしっかり裏付けの取れたまじめなものであることは今までと変わりません。



[162] かにかに行きましょう🎵 投稿者:平野裕子 投稿日:2016/03/05(Sat) 21:00

旧姓東野ユッコです。
ひさやさんは、友人イチオシのかに旨お宿。
おまけに温泉🎵
貸し切りバスなので、出発同時に飲酒可。ご希望に添える限り、トイレ休憩も可。一杯しゃべって、最後の旨いカニ食べましょう🎵

楽しく同期でワイワイ❗お酌致します😃



[161] カニ&温泉旅行 投稿者:小倉紀子 投稿日:2016/03/05(Sat) 20:31

はいさー、チェーン振り回してたらしいウラチンです。
今回幹事の井町君が必死のパッチで段取りしてくれてます。
同期の男子の諸君おそろしや参加女子のすっぴん確約。
いややろけど飲んだくれ女子のすっ裸披露もあるかも???
何があるか怖いもん見たさで参加お待ちしてますね。
こんなゆるい感じで楽しくやりましょう!



[160] サロン登高賦カニツアー 投稿者:井町常郎 投稿日:2016/03/05(Sat) 13:51

今回サロン登高賦カニツアー幹事の井町です。
今年は二月に民宿がとれず一泊二日の丹後の旅に変更になりました。
バスは24人乗りの小型バスで貸し切りなので旅程は自由です。
出発は26日の9時30分、まずわ出石に向かってそば、
天橋立を回って城崎を通って宿泊先のハチ北にむかいます。

ひさやさんは同期の浦さんのイチ押しで
カニ料理が満喫できてゆったりとした温泉ありのお宿です。
二日目は天空の城として話題の和田山竹田城をまわる予定です。

けっして安くはないですが貸し切りバスでカニ食べて
温泉入って自由に観光できるんで高くはないかと思います。

今のところ参加者は私の嫁はんと松井、28期含めて12名です。
夫婦でよし、親子でよし、お友達でもよし
お時間ある方は丹後の旅を満喫してみませんか。

連絡先はサロン登高賦
または幹事の井町常郎090-3288-9089までお願いします。



[159] 「カニ・温泉・そば ツアー」ご案内。 投稿者:松井寿之 投稿日:2016/03/04(Fri) 19:06

「カニ・温泉・そば ツアー」ご案内。
サロン登高賦では毎年2月に28期井町・田村両氏に企画をいただいてスキーツアーをおこなってきました。
今年は当初の雪不足の影響で日が集中し、宿が取れませんでした。
第5回目となる今回はやむなく3月。
カニ・温泉・そばを楽しむツアーとなりました。
3月26日(土)〜27日(日)。
宿泊:お宿「ひさや」(ハチ北) 交通:貸切バス
参加費:25000円
現在、28期を中心に10名ちょっとの参加予定をいただいております。
詳しくはサロン登高賦までお問い合わせください。
皆様のご参加をお待ちしております。



[158] 続〃〃)応援してます、高梨沙羅選手 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/03/01(Tue) 09:30

連日のコメントをお許しください。
雪不足のため開催中止となったルーマニア大会の代替開催も行われないと、昨夜発表されました。
もちろん、高梨沙羅選手が今季WC総合優勝をすでに決めていることは誰もが知ってることですが、周囲の次の期待は再来年の五輪金メダルだそうです。しかし、ぼくは一瞬の風に左右される競技の場合、金メダルはあまり意味がないと思います。むしろ世界の一流選手が競うWCで優勝回数44回、総合優勝3回は素晴らしい記録です。実力の証です。
前にもコメントしたことですが、競技歴の浅い女子ジャンプで一番になれてもあまり評価されないかと思われますが、男子の記録に目を向けるとオーストリア人選手の53勝があります。あと9勝ですから来シーズンにも追い抜く可能性があるでしょう。それから、今シーズン活躍した外国人選手には30歳前後の人もいましたから、怪我さえなければ高梨選手の出場できるシーズンはあと10回以上か?そんな先まで誰も分かりませんが。
独り善がりでしょうが、WC54勝(男女通じた世界記録)あるいは100勝で国民栄誉賞。
とにかく、怪我なく長く選手生命を続けてほしいと願っております。



[157] 身障者の一人暮らし 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/02/29(Mon) 14:29

心筋梗塞で会社を辞めプータロー生活に至ったことは昨年11月の投稿で申したとおりです。言語、手足に後遺症が残り、離婚もしてぽつねんと大阪狭山市のマンションで一人暮らしをしております。寂しいと思う時もありますが、意外と充実してる部分もあります。生活ぶりを若干自己紹介します。まず、歩行困難な買い物難民なのでネットスーパーを利用して配達してもらってます。毎日スーパーがネットのチラシを更新しますので、いち早く安売りのお目当て品をネット上で買い揃えクリックして注文します。それで買った物を煮たり焼いたりけっこう面白いです。娯楽はインターネットですが、昨年10月、携帯電話のau(KDDI)から勧誘を受け、タブレットパソコンを無料でもらいました。KDDIへは月3000円の通信料、ニフティへは月3000円の接続料、計6000円の負担ですが、政治、経済、社会、理系なんでも検索して楽しんでます。ネットはぼやーと見たり聞いたりできるし、興味深いところはもう一度再生することもできるし、けっこう何時間も楽しみ且つ勉強してます。音楽も楽しめるし、ニュースも見られるし、けっこう充実してます。30数年に及ぶサラリーマン生活のアフター5は得意先や同僚らとの酒盛りがしょっちゅうあり、それなりに楽しくもありましたが、肝機能が悪くなり、なんといっても糖尿病から来る動脈硬化→心筋梗塞で死にかかりました。プータローになってコーヒー、紅茶、日本茶(無糖)に変え、健康的な食生活です。ちょっとした自己紹介でした。


[156] 中国と日米安保 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/02/27(Sat) 09:12

久しぶりにコメントします。主題は中国の覇権主義への対抗策です。皆さんご存じのとおり数年前、尖閣諸島に漁船が侵入してきたり(近隣の台湾なら分かりますが、中国はいくらなんでも遠すぎます)最近は西沙諸島への人工島建設、軍備配置などむちゃくちゃです。西沙諸島の近隣国はベトナム、フィリピン、ブルネイなどで中国は関係ありません。その人工島の近海(公海)を米国軍艦が航行してるとか。無言の圧力でしょうが、東アジアの秩序維持のためによくやってくれると感心してます。
日本は先の戦争で、むごたらしい虐殺の末米国に降伏し植民地になったし、日米安保条約や米軍基地はその延長線上と思ってきました。つまり日本は軍事的にアメリカにいいように利用されてきたと思ってきました。
しかし、思わぬ敵が東から登場しました。長年、日本はODAで開発を援助してきたのに、あろうことか近隣友好国の領海を横取りするとは。裏切られた思いがします。暴挙と思います。
それに対し米国軍艦が公海上だから当然ですが航行するとは。中国の思惑どおりにさせてやるものかという意志を込めてのことに違いありません。大国中国を相手に事を構えるのは、日本の国力では相当な難儀です。ここに来て日米安保のありがたさを思い知り、アメリカの取った行動の勇敢さに拍手を送りたいと思っております。



[155] 続〃)応援してます、高梨沙羅選手 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/02/15(Mon) 07:23

この土日(13日、14日)はちょっと残念でした、高梨選手。
今シーズンWCあと5戦、ケガなく活躍してほしいと思います。
ちょっと生意気な私見ですが、男子のWCスキージャンプの通算勝利数記録がオーストリア人選手の53勝、女子が高梨の41勝です。
来シーズンにでも高梨が53を上回ることもあり得るかと思います。その日が待ち遠しいです。女子のこの競技の歴史は浅いですが、そうなれば前人未到の大記録です。その時、国民栄誉賞の受賞とか、その呼び声があってもええのでは、と思います。



[154] 続)応援してます、高梨沙羅選手 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/02/05(Fri) 12:02

高梨選手が昨夜のWCスキージャンプ、ノルウェーオスロ大会で見事優勝しました。
飛距離は最長不倒、テレマーク姿勢が決まり飛型点も高得点でした。
今シーズン10戦して9勝ですよ。
今大会だけラージヒルでしたが、全然不安要素ありませんでした。助走路から飛び出したら、きれいなフォームでピタッと動かず、誰よりも遠く飛びました。
薬の関係で昨夜のLIVEは見られず、さっきの再放送を見ました。
あと9戦も不安要素はないでしょうが、とにかく最終戦までケガなく頑張ってほしいと願ってます。



[153] 応援してます、高梨沙羅選手 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/01/31(Sun) 18:10

生野とまったく関係ない話題で失礼します。
それはWC女子スキージャンプでの高梨沙羅選手の大活躍です。
今朝もBSで9時からドイツ大会を見ました。
抜群の飛距離、着地の姿勢も良くなって、1人だけ別次元ですね。
前回オリンピックの敗北や昨シーズンの不振を完全に払拭しました。素人考えですが、19歳になって身体が一層成長したからか?と思います。しかし、見た目小柄で、どこにそんなパワーがあるのか分かりません。
今シーズンのWCでダントツの活躍なら国民栄誉賞も夢ではありません。なにもオリンピックで金メダルが条件と決まってる訳ではありません。
それはそれとして、今シーズン最後まで怪我なく活躍してほしいと思います。



[152] 続)コレステロール薬 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/01/26(Tue) 13:33

本日午前、通院してる病院の診察日で、寒い中行ってきました。
ナンバー150に述べたコレステロール薬の質問をしたら「この処方に間違いない。私は4年間コレステロールの研究をしてきた経験から間違いないです」とはっきり言われましたので、信用できると思いました。理屈はすごく難しいらしく「興味あるなら書物を紹介する」と言ってくれましたが、難解と聞いて腰が引けてしまい「はい」とは言えませんでした。ただ、質問したこと自体は良かったと思います。
医者本人が分かって処方してる場合もあれば、前の病院の処方を引き継いで、ただ真似してるだけの場合もあり、そのことを見分けられるからです。



[151] 小さな旅 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/01/23(Sat) 07:30

今冬は暖冬とばかり思いきや、今日の大阪の最高気温は6℃、東京は5℃ですって。近ごろの灯油安がタイムリーな助っ人ですね。
さて本日の話題はNHKの「小さな旅」という番組が素晴らしいということです。
放送は、毎週土曜日朝5時15分〜40分で(これは近畿の時間で、各地で違うようですから、ご確認ください)、全国各地のあまり知られてない山、川、田園などの風景、風物、農林漁業(海も川も)や、黙々と懸命に働く人びとの姿を取材する、静かで地味〜な番組です。
しかし、還暦に近づいたせいか、ゆったり穏やかな気持ちで見るというか観賞してます。
テーマ音楽が素晴らしいのも特長です。
この番組は20年ちょっと前、東京勤務だった頃知って、もっぱらテーマ音楽に惚れて見てました。
関東地区のローカル番組で、正直あまりおもしろくありませんでした。音楽だけ聞いてた具合でした。
帰省する度、もしやという期待で探しましたが、放送してませんでした。だから、10年前大阪転勤してからもずっと探しもしませんでした。
ところが、一年前だったか、朝早く病室のベッドで目覚めスイッチを入れると、あら不思議、放送してるじゃないですか。しかも、全国版に格上げされて。
さっき見た東秩父の、原木の伐採から紙漉き、美しい完成品に至るまでの作業過程を追った和紙作りの今回も、目立たない日本の伝統にスポットを当てた素晴らしい番組でした。
余談ですが、小学生の頃、父(故人)が好きだった新日本紀行を思いだします。
そう、ジャンル名でいえば紀行番組ですね。
ご参考までに。




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