生野高校28期掲示板

[425] 昨夜のニュースの感想 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/14(Mon) 06:12
きのう昼はゴルフの試合を見ました。松山英樹が初日から独走、ぶっちぎりで優勝しました。最近の活躍はめざましく
日本オープン優勝、米国PGA ツアー2位、翌週は優勝と快進撃でしたから、きのうの日本の試合も優勝して当然といえば
当然でした。世界ランキングで現在7位と紹介ありましたが、昨シーズンから大幅に実力アップしたから、PGA ツアー
でもっと活躍しランキングも上がっていくだろうと思いました。

さて昨夜のニュースの目玉は韓国大統領への国民総攻撃と米国トランプ次期大統領の政策についてでした。
韓国大統領については周辺人物の疑惑解明には大統領への捜査も必要でしょうが、大衆が大集会を開いて辞任要求する
ことにえらい違和感を覚えました。だって、国会議員選挙や4年前の大統領選挙で最大の票を得たからこそ就任したの
でしょう。ということは辞任要求してる人たちにも選んだ責任がないのか?と聞いてみたくなります。よその国のこと
で生意気言いますが。

米国トランプ次期大統領の政策については、選挙期間中から地球温暖化対策に反対を表明してたことに現地アメリカの
インタビュー者から、就任後もその路線に変わりはないかと聞かれてました。小声で話し、よく分かりませんでしたが、おそらく変わらないと回答したように思われました。
地球温暖化についてのぼく個人の知るところでは、長い長い地球の歴史を調べると、現在0.04% の CO2濃度よりはるかに
高濃度だった頃に氷河期が何度も来襲したこと一つをとっても  CO2濃度と温度は正比例するのかという疑問があります。そういう科学的な見方から地球温暖化に疑問を呈する理系学者や、これから地球は寒冷化に向かうという学者も
たくさんいます。海外にもたくさんいます。
国連では新たな地球温暖化対策を定めたパリ協定が締結され、 現在これの具体的な対策を協議する COP22 が開催中だ
そうです。
最近の日本では冬に大雪が降るなど温暖化は怪しくなってきました。本当に温暖化は正しいのか考え直さないといけない
と思います。詳しくはネットにたくさんの地球温暖化疑念論、地球寒冷化論が出ているので参照してください。

なお、下段の多数の投稿は同期生の正当なものか疑わしいです。面倒なことですが、管理されてる方に調査等をお願いします。

[424] 改竄句ができました 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/13(Sun) 06:38
きのうニュースを見てたら、韓国大統領が国民や捜査当局から追いつめられてるとのことです。大変な衝撃です。
さて、きのう本歌取りのような句を思案中と書きましたが、まあまあのができたので投稿します。
まず本歌ならぬ本句から

寒鰤(かんぶり)の いづれ見劣りなかりけり

作者 鈴木 真砂女(まさじょ) 1906ー2003 昭和期の俳人

評価 俳句雑誌の俳人のコメントによると、銀座で料理店を営んでいた作者は築地市場へよく通った。1メートルも
   ある立派な寒鰤に、どれを選ぶか、惚れ惚れと見とれつつ迷っている場面を描いている、とのこと。

コバの感想 この句はコメントのとおりだと思います。ウソがなく、見たまま、あるがままを五七五にまとめ、寒鰤
      という冬の季語を入れ、傷がないと言えます。しかし、作者の日常の一断面を切り取って、そのまま
      俳句にしたとも言え、作者の感動が分かりません。ちょっと珍しい光景ですが、料理店の人なら珍しく
      ないことを定型句にしただけと酷評したくもなります。

改竄句  河岸の魚 バタピチ跳ねる 我も跳ねる

説明 河岸には各地から運ばれてきた いろんな魚がたくさん並んでいる。大型魚はバタバタ跳ねるだろうし、
   小型魚はピチピチ跳ねるだろう。バタピチはコバの造語です。大型、小型いろんな魚がそれぞれの音と
   ともに跳ねている様子を表してみました。 
   作者は河岸の中を移動しながら、そういう様子を眺めつつ、魚の躍動感が乗り移り、自身の中にもパワー
   をみなぎってくるのを感じている、としました。職業人ならではの感動を表したつもりです。
   なお魚業の実態は漁獲と同時に締めたほうが新鮮さを維持できると聞いたことがあります。また生きたまま
   だと、魚同士がぶつかり傷つくので締めるとも聞いたことがあります。そうなら、河岸に並んでいる魚は
   死んでおとなしいかもしれません。バタピチ跳ねる はでっち上げだったかも。


[423] 本歌取り 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/12(Sat) 16:46

本歌取りとは、和歌の世界で 有名な歌の1句か2句を自分の歌に取り入れて 歌を作る方法のことを言うそうです。
だから俳句の世界で本歌取りとは言わないのですが、まるで本歌取りのような句がありました。
ナンバー414で、芭蕉の「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」に対して、金子 兜太(かねこ とうた、90代現役)が

よく眠る 夢の枯野が青むまで

という句を詠んでます。
驚きました。芭蕉の最期の句を知っていながら「枯野が翌春に芽吹くまで、健康なオレはぐっすり眠る」
と向こうを張ってます。
ぼくも本歌取りみたいな句を思案中ですので、できたら投稿します。



[422] 米国大統領選後の言葉を聞いて 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/12(Sat) 07:26

米国大統領選の投票並びに即日開票、決着が日本時間で9日でした。
その夜のニュースを含めて3夜ニュースを聞きました。
トランプ候補の勝利演説、その中でのヒラリー氏からの祝意の電話の紹介、オバマ氏とのすばやい面談、共和党有力者
の従来のネガティブな発言と打って変わっての支援表明などが報道されました。
一言でいうと、アメリカは1つ、みんなが力を合わせ良い国にして行こう という前向きな言葉でした。
長い選挙戦で傷つけあったことを修復しようとも。
古い日本語で言うと、恩讐(おんしゅう)を越えて団結しようという意味に解されました。

選挙戦の間、政策論争がない、非難合戦だ等々言われました。そのとおりだったと思います。
しかし、戦い済んで美しいエールの交換。なんて大人なんだと思いました。
諺(ことわざ)で言えば、雨降って地固まる、です。
世界一の大国の指導層がそういうマインドを示したことが嬉しいと思いました。感想まで。



[421] 酒場放浪記 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/11(Fri) 16:09

居酒屋を吉田 類(るい)という人が客として入店し、いろんなアルコール飲料、肴を味わいつつ、店の人や他の客と
乾杯したり語らうという「吉田類の酒場放浪記」という番組があります。もう5年ちょっと続いてるので一度は見た
ことがあるかと思います。
たしか先週金曜夜に見た記憶があるので、今夜はそれだなと思ってましたが、ネット検索すると過去の放映分が
たくさん出てきました。それで今日はそれをずっと見てます。
番組のパターンは決まってて、吉田さんが昼間どこかの駅から出てきて、街中をブラブラして お菓子屋、民芸品店など
を見学し やがて日が暮れる。居酒屋の集まってる界隈に行き、どこかの店に入る。あとは冒頭に書いたように平和に
知らない人と語らいつつ美味しい酒、肴を堪能するという番組で、入店から退店まで15分ぐらいにまとまってます。
テレビ放送は1時間番組で4店を巡ってます。
こんな暮らし できたらええなあと憧れて見てます。
Wikipediaで吉田類氏を検索しました。
高知県出身の酒場ライター、画家、作家(俳句愛好会を主宰)、タレント。67歳。独身。
酒場放浪記はBS-TBSで毎週「月曜」夜9時〜10時放送でした。記憶違いで失礼しました。



[420] 霞ヶ浦 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/10(Thu) 08:41

ずいぶん昔のことですが、小型車を買ったのはいいものを都内の駐車場が月3万だか4万だかめちゃ高く、
郊外へ探しに行きました。
すると東北本線の埼玉県北外れに栗橋という駅があり、駅近で月3000円とビックリするほど安かったです。
どうせ乗るのは月2日ぐらいだからと、すぐ契約し、そのとおり月2のペースで東京からJRで1時間半かかって栗橋
まで行ってドライブしました、宛もなく。
車を運転すること自体が楽しいから、適当に国道を走りました。
栗橋から1時間ちょっと走ると大きな湖に出、周囲を走りました。古い民家あり、田園地帯あり、湖畔の公園あり、
川も渡り、大型店舗にも入りました。
すごい快適なドライブだったので、20回ぐらい行きました。3年ぐらいの間だったでしょうか。
看板ないか注意してましたが、とうとう何という湖だったか分かりませんでした。
きのうネット地図で検索したら霞ヶ浦と分かりました。
あの有名な霞ヶ浦なら知ってましたが、周囲2時間弱で行けたので、霞ヶ浦としては小さいと決めつけてました。
道や周辺の店舗や家も関西と大差なかったですが、遠い昔そんなことあったなあと時々思い出します。



[419] ワシントン州 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/09(Wed) 17:24

きょうは米国大統領選の日でした。トランプ氏が選挙人総数の過半数270を上回りました。
ということで米メディアがトランプ氏の当確を報じました。就任式は来年1月20日だそうです。

選挙制度は州単位の総取りで、ネット検索すると全米50州プラス コロンビア独立区(=ワシントンD.C.=District of Columbia)ごとの共和・民主の優劣、勝敗が分かるようになってました。
共和党が赤色、民主党が青色で識別されてました。

さて、コバが迷ったのはワシントンD.C .でした。
ネットの全米地図を見渡すとワシントン州が見つかりましたが、西海岸の北端の四角い でかい州でした。
あれ?首都ワシントンは東部のはずと検索し直し し直したら、上記のようにコロンビア独立区のことでした。
この歳で初めて知りました。肝心の政治、経済その他情勢はまったく分かりません。
トリビアなことで失礼しました。



[418] 将棋スマホ事件 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/09(Wed) 09:58

最近、将棋界をある事件が揺るがしてます。
ある事件とは、棋士同士の公式戦の最中、ある棋士が自分の控え室へ行ってスマホで「次の一手」を検索したという
事件でした。
その棋士の実戦中での対局室への出入りが頻繁だったことから不審に思った棋士がいて、疑念が広がり、対局後、
その棋士所有のスマホを調べたところ、実戦とスマホ検索結果が極めて類似していたことから、その棋士は将棋連盟
の審査機関でクロと判定され、せっかくの勝ちをフイにされました。
ぼくはその棋士がそういうことをしたかどうか分かりませんが、いかにも起こりそうと思いました。

将棋でも囲碁でもタイトル戦は、ネットで写真や野次馬プロ同士の検討内容がリアルタイムで公開されてます。
そうなら対局者自身も他人のいない控え室へ行き、カバンの中からパソコンやスマホを取り出し、他のプロの検討内容
を見ることが可能と、ぼくは思ってました。
しかし、それは生身の人間同士の真剣勝負ではあってはならないことと思い、昨年、将棋連盟に問合せの電話を入れ
ました。
すると応対に出た連盟事務局の人は「そんなことをするはずがない。だから、プロのルールに、対局者のパソコンや
スマホの持ち込みを禁ずる規定はない。対局に際して立会人(審判のような人)からの注意事項にもない」
と回答しました。
ぼくは、ネット時代に対策が必要と思ってましたので、疑念を払拭できませんでしたが、連盟がそう言う以上、
仕方ないと引き下がりました。
今回の事件は、対局中の局面をスマホに再現し次の最善手を検索する事案でしたから、去年のぼくの問合せ内容とは
違いますが、先端機器の実戦での利用という意味では似た事案と思います。
ぼくみたいな一ファンが前から思いついてたことを職業人が抜けてたことに驚いたというより呆れてます。



[417] 俳句2作 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/07(Mon) 11:43

NHK 俳句から、さすがと思ったプロの2作を紹介します。ふたりとも長生きし近年亡くなってます。
句の説明はベテランプロのを参照しました。

1) 水中をさらに落ち行く木の実かな

説明) 池の淵の木から多くの実が水際に落ちている。それがますます水中深く落ちて行く様をじっと見ていて
    飽きない。 秋らしい光景である。木の実の水中深く沈んで行く様はまるで我が人生のようだ。

2) 木の葉散る 金色に刻(とき)染まりつつ

説明) 銀杏や桂の葉は冬が近づくと鮮やかな黄色になり、風に舞ってあたり一面を染めていく。
    時空を金色に染めているようだ。
    本格的な寒さの来る前の恩寵(おんちょう)に思える。



[416] 今の新宿 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/06(Sun) 13:56

今朝は昔の新宿を書きましたが、現在、といっても2年前のことも書いてみたくなりました。
出張で1泊、新宿の外れのビジネスホテルに宿泊しました。どこなりあると思いきや、小さな部屋の素泊まりで
1万円をはるかに超えるところばかりで、適正価格の所を見つけるだけで必死でした。
正確な料金を覚えてませんが、8000円ぐらいの所を見つけました。目的地からちょっと離れてましたが。
目的地が中野坂上(さかうえ)、泊まったホテルが新宿の北東外れでしたから、距離にして7kmぐらいでした。
前日、新幹線で東京に着き、夕方にJR新宿駅を降りました。そこからホテルまで徒歩20分ぐらいブラブラ歩きました。
歌舞伎町を通りましたから、外国人の呼び込みに20回ぐらい声かけられました。手でノーを示すと、しつこくなかった
です。さすが20分も歩き、ちょっとさみしい所にホテルがありました。
ホテルに入ると、たくさんのアジア人観光客がフロントにいました。
翌朝早く爽やかな街中を歩きました。意外にホテル周辺も特色ある飲食店がたくさんありました。
中野坂上へ向かって西へ西へ歩き、山手線を越えたら、24時間居酒屋に出くわしました。もちろん、ちょっと一杯
なんて思いませんでしたが、牛丼、ファミレスなどのファストフードならともかく、居酒屋の24時間営業にはビックリ
しました。メニューや座席などを見回すと普通でした。さすが不夜城のメッカだけのことはあると感心しました。
どの時間帯も仕事帰りの人がけっこういるのでしょう。
すぐ近くに別の24時間居酒屋もありました。
そのあたりは西新宿の一角です。そこから中野坂上まで歩きました。西新宿も中野坂上も東京勤務の中で何度か行き
ましたが、その間を歩くのは初めてでした。時間の余裕があったこともありましたが、西新宿から中野坂上方面は、
坂上というだけあって小高い丘を登って行くような感覚がありました。坂の頂上には高層オフィスビルが見え、
それを目標に有酸素運動の通勤をしました。



[415] 大学入学頃 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/06(Sun) 06:40

ぼくは一浪したので大学入学は1977年(昭和52年)でした。
学生寮に入り、先輩から麻雀を教えてもらい楽しくて時間無制限にやってました。いい加減疲れて寝て少し授業に出て
また麻雀の日々でした。
麻雀を終えると、渋谷まで徒歩で行けたので、よく牛丼を食べに行きました。夜明け前だった記憶があるので、当時も
24時間営業だったと思います。
時々、友人らと新宿歌舞伎町のディスコに行きました。オールナイトだったので、明け方始発電車で帰りました。
ディスコでは入店時に3000円ぐらい支払い、飲み食い放題、はやりのミュージックの中でむちゃくちゃ踊りました。
広いホールで、たくさんの人でしたので、様になってるかなんて気になりませんでした。
ディスコの帰りも牛丼を食べました。38-9年前でしたが、安くて旨かったです。
という思い出があるので、最近、当時のディスコミュージックをネットで聞いてます。
当時もノリノリでしたが、今聞いても、ちっとも古くさくありません。



[414] 枯野 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/04(Fri) 06:38

きのうに続きNHK 俳句11月号から。
この号には、あるプロが「枯野」という季語を巡って特集を組み8人の俳人の句を選んでます。
その中でコバの目を引いたのが芭蕉(1644ー1694)の句でした。

旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる

Wikipediaによると、芭蕉は故郷伊賀から大坂へ赴いた時、体調を崩し御堂筋で病床についていたが容態が悪化、
死去した。その時の句であるから辞世の句のようなものだが、本人は覚悟を決めていた訳ではなかったので、
そういう言い方は成立しない。
なぜ着目したかというと、世間で一番有名な俳人であることはもちろん、この短い句の中に自身の人生のすべて、
エッセンスを込めているかのようであること(頻繁に旅に出、出会った事物に感動し、句作を重ね、途次に死んだ)、
韻を踏んでる訳でないのにリズミカルで親しみやすいことが挙げられます。
平凡なようでいて奥深さがあります。



[413] NHK 俳句11月号から 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/03(Thu) 13:39

首記の雑誌をペラペラめくるうち、ははあと感心させられた素人の句がありましたので紹介します。

打首の如き切株 木下闇 (うちくびのごとき きりかぶ こしたやみ)

作者説明 木下闇は夏の季語で、夏の木々が鬱蒼と茂るさま。昼なのに真っ暗である。その中に切株を見つけた。
     それはまるで時代劇のシーンの打ち首のようだった。

プロの感想 切株を見て打首のシーンが思い浮かぶ感性は意外性があり素晴らしい。(蛇足ながらコバも同感です)



[412] 米語はアクセント 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/02(Wed) 06:56

きのう夕方、ネットニュースを聞いてたら、アメリカに留学した経験のある学者が出演してました。
冒頭の雑談でハロウィーンの話題になりました。最近、東京の街中で若者の仮装パーティーとして盛り上がってると
いう話をアナウンサーとしてたら学者いわく「日本式のハロウィーンでは通じない。アクセントこそが肝心。あとは
カタカナどおりで通じます」と言ってました。アメリカでは「ウイーン」にアクセントを置くと言うから手元の辞書
で調べたら、やはりそうでした。留学生として渡米してネイティブ並みに上手くなろうなんて考えたら別でしょうが、
通じることは通じるということで満足するならアクセントだけ注意すると肝に置いておいたらええらしいです。

ところで以前から不思議に思ってることは芸能人のアグネス・チャンの日本語のことです。
香港出身だから訛りがあって当然ですが、デビュー当時と全然変わってません。少しは日本人と自分の発音の違いに
気付いて、もう少し進歩と言っては失礼ですが、香港流から日本ネイティブに近づけようなんて思わないのかな・・・



[411] 羽田空港 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/11/01(Tue) 07:45

きのう、羽田空港の昼間のアメリカ便の運航が始まったとニュースで知りました。
ぼくは空港事情に全然詳しくありませんが、すったもんだの末、成田が開港した時には成田が東京を代表する国際空港
になり、羽田は第二空港と思ってました。
何回か成田を利用しましたが、けっこう東京まで遠く不便と思いました。
羽田はもちろん国内便に使われてきました。そのうち羽田の国際線もあると知りました。
羽田は海沿いだから技術的に拡張が困難だったのが、できるようになってきたのかもしれません。
今回の昼間発アメリカ便の運航開始は成田の存在意義を危うくしないかという疑問が湧いてしまいます。
ぼくはどちらに肩入れするものではありませんが、羽田の発着が増え成田があまり使われなくなったら、あれだけ
大騒動して成田を開港したのは、一体なんだったんだろうと思ってしまいます。
大阪は関空と伊丹が共に活躍してるようで、良かったと思います。
ニュースを見ての感想でした。



[410] 松山英樹優勝 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/10/30(Sun) 18:27

今週4日間、アメリカゴルフツアーの一戦である世界ゴルフ選手権という試合をBSで見ました(ゴルフ場は中国上海)。
松山英樹が並みいる世界強豪を押さえ見事に優勝しました。2日目からトップに立ち、日を追うごとに差を広げ
最終72ホールを終え7打の大差でした。
松山は大学卒業と同時ぐらいから米国ツアーに参戦しました(現在24歳)。
果たして成長するのか、潰されるのかと思ってましたが、先々週帰国し日本オープンに出場し、非のうちどころない
プレーで優勝し成長を感じさせてくれてました。
日本のトップ プレイヤーがアメリカツアーに挑戦して帰って来ると「レベルの高いツアーで戦って勉強になった」
なんて、きいたふうなコメントを言うものですが、実際は体格の違いから飛距離の差だけでも驚き、無理して飛ば
そう飛ばそうとするあまりスイングを壊しレベルダウンして、すごすご帰ってきて、かつて勝ててた国内ツアーで
勝てなくなるなんてことが珍しくありません。
松山は石川遼と同い年です。石川は早熟の天才で、15歳のアマチュア時代に参戦した日本プロツアーで優勝したのに
対し松山は大卒後にプロになったから経歴的には普通のデビューでしたが、飛距離、正確性、小技と全てにわたって
優れ、石川の良きライバルと思ってました。2人とも米ツアーで頑張り、石川もタマに帰国すると成長ぶりを見せて
くれました。
しかし松山の急成長には驚きました。先々週の日本オープンに続き、先週は米ツアーで2位、きょうは優勝です。
内容的にラッキーなところがなく実力で勝ちました。世界ランク3位の選手も頑張ってましたが、贔屓目でなく
松山のほうが上と思いました。これからも精進し日本人初のメジャー制覇を実現してほしいと願ってます。



[409] 結婚披露宴 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/10/28(Fri) 19:19

けさ卒業式のことを書いて、ついでと言ってはなんですが、結婚披露宴のことも書きたくなりました。
ぼくは人並みに結婚したくて30過ぎの頃結婚しました。そして式と披露宴を挙げました。両家50人ぐらいずつ集まって
もらいました。
家族、親戚はもちろんのこと、職場の上司、同僚、友人、知人らに集まってもらいました。ごく普通の披露宴でした。
が・・・今振り返って、来てもらった人たちのうち果たして何人と繋がっているかしら?
血縁で結ばれている人たちですら、就職、転勤などで会う機会は多くなく、親の世代も、ぼくらの世代もそうそう会う
ことはなくなりました。というか、会いたい気持ちも正直なところ残ってるのかしら?年賀状も毎年会いたいとウソ
書いてきたし・・・
上司、同僚、友人、知人らに至っては、その時の周囲の人たちに来てもらっただけで自分や相手の異動で、それっきり
という人が多いです。
そういうことを考えたら、そもそも披露宴なんて本人、親、姉妹兄弟だけで良かったかもしれません。
その時いくら仲良くても、人間なんて離れてしまえば気持ちも薄れるものだと、還暦を前にして、そう思います。
若い頃、そういう不義理は自分だけかと思いましたが、人もけっこうそうだと知り、妙に安心しました。
結婚とは違いますが、母は女学校以来50年間文通を続けた友人がいたと言ってましたが、途絶えてから20年になるとか。
人のつながりなんて川の流れにたとえることができるかもしれません。お互いどんどん離れて行き気持ちも遠のく。
例えば母の場合、流れ流れて今は近所の老人施設にいます。そこの人たちと仲良くしてます。昔のムラ社会なら違う
でしょうが。ぼくも去年退職してメールや電話でつながってる人もいますが、途絶えた人もいるし、地域社会で新たに
付き合い始めた人もいます。
現代人はきっとみんなそうだと思います。とりとめのない話で失礼しました。



[408] 卒業式 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/10/28(Fri) 07:06

季節外れですが今朝は卒業式のことに触れたいと思います。
卒業式の歌は在学中の楽しい思い出、離れ離れになる恩師や友人とのさみしい別れ、前途洋々たる未来が歌われ
ますが、現実はウンザリしてた学校生活からこれで解放されるというヤレヤレ感しかありませんでした。
生野卒業式の一番の思い出はアルバムのなんと重かったこと。
それから自分の怠惰が原因でしたが、受験勉強の遅れが気掛かりだったこと。
友だちのことも住所や電話が分かってるから、いつでもと思ってました。
しかし機会はなく、いつしか懐かしくなってきました。
ちょっとしたことでも良かったなあと美化する気持ちになってきました。
だから卒業式ソングは社会人になってカラオケでよく歌ったものです。



[407] 南沙織 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/10/26(Wed) 06:38

俳優に篠山輝信(あきのぶ)という人がいます。南沙織と写真家・篠山紀信との間の二男です。
ぼくはテレビの英語語学番組でよく見ました。
ちょい昔、バラエティ番組で出演してました。
島田紳助さんが司会で、島田さんからの質問に答える形式でした。
島田さんが、南沙織の昔の歌う姿が大写しになるのを指さし「きれいで、かわいいな」と言って、「キミ、こんなコ
がいたら、付き合ってとか言わへん?」と聞いてました。
篠山は大きな目をますます大きくし、首と手を振り「全然」と笑ってました。
「紳助、うまいこと言うなあ」と感心しました。スタジオの聴衆も笑い転げてました。誰もが心で思いそうなこと
を言ってのけるところに技があると思いました。
yesやったら場が凍りついたところでしたが。



[406] 湖西ドライブ 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/10/25(Tue) 06:21

12月のある晴れた休日にふらっとドライブに出かけました。
なんとなく京都を過ぎたあたりで名神高速を降りました。降り口が急カーブでヒヤッとしましたが無事、下道に降り
ました。それから湖西の国道を一路北進しました。途中まで沿道に店が並び渋滞してました。ところが琵琶湖大橋を
過ぎたあたりから急に店が少なくなり道も空きました。さみしい感じがしました。
それでも北進を続けました。右手に穏やかな湖面、左手には広がる田園、その先に名前は知りませんが小高い山々が
見えました。
特徴的と感じたことは、ものすごく静かでした。まるで昭和30年代にタイムスリップしたかのように思えました。
途中で車を下り、岸辺をうろつきました。本当にシーンとしてました。広大な田園と琵琶湖があるのに。
なおも走り、ボートが並べられてました。おそらく夏は湖水浴で賑わうと思いました。
更に行くと自然林の中に入りました。車の前にお猿の軍団が飛び出してきましたが、襲われることなく道の反対側へ
消えて行きました。
もう少し走ってから引き返しました。
家に着き振り返って、こんな原風景が、それも近くに残ってるなんてと興奮冷めやりませんでした。
当時は涼しいぐらいでしたが、今年は寒そうで12月では遅いかもしれません。

なお、昨日の投稿の末尾で四国を行脚するお遍路さんのことを紹介し、着替え用の部屋かブースがあると書きました
が、その場所は高知空港(愛称:高知龍馬空港)でした。言葉足らずで失礼しました。



[405] 淡路島・四国ドライブ 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/10/24(Mon) 07:36

きのう宮崎旅行のことを書いて、きょうは淡路島と四国一周ドライブの経験談を書きたくなりました。
いずれも10年前の大阪転勤後のことです。
まず淡路島ドライブのことを話したいと思います。
ある晴れた休日、ひとりで阪神高速で行きました。淡路島に到着してすぐ降りて下道で島の周囲を走りました。
けっこうさみしい原始林で覆われた所もありましたが、海の景色を味わうことができました。
和歌山方面を見られる所からは友ヶ島が見えました。昔行ったなと思いながら眺めました。
島を一周して高速に乗って帰ったのですが、海峡を渡って阪神高速を神戸方面へ向かったと同時にすごい渋滞に巻き
込まれました。神戸市に入ったあたりから普通の渋滞になり、堺あたりで解消しました。
この話を会社でしたら、同僚が「海峡を渡ったら逆方向に降りて、下道で神戸方面へ走ったらええ」と教えてもらい
ました。これは数年前のことですので、今もそうかは分かりません。

四国ドライブも懐かしいです。
高知市に転勤で行ってた友人がいて、誘われて行きました。2回行ったのですが、1度は淡路島を渡って高速道路で
香川県を西進し途中で高知方面へ南下するルートへ入り、そのまま高知駅前のビジネスホテルにチェックインしました。友人の社宅を訪問し焼酎などをご馳走になりながら談笑しました。
夏でしたが、高知市の夜は屋台も出て南国ムードがあり、観光客で賑わってました。
翌日はいっしょにゴルフに行きました。猪の親子がゴルフ場の林から出てきてビックリしましたが、すぐ引っ込んで
くれてホッとしました。
翌年の5月連休にも行きましたが、友人と別れてから国道を西進し高知市→四万十市→愛媛県→香川県→徳島県→淡路島
と戻りました。四国ではたぶん趣味でそうしているのでしょうが、八十八ヶ所巡りのお遍路さんを大勢見かけました。
友人が言うには、お遍路さんの服装に着替える部屋かブースがあるそうです。



[404] 九州・宮崎旅行 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/10/23(Sun) 06:45

先日は米国カバン持ち出張の思い出話を書きましたが、今朝は10年前大阪転勤後に行った標題の思い出話を書きたいと
思います。
大阪で仕事の関係で親しくなった、あるサラリーマンと遠路宮崎旅行へ行きました。
1回目は延岡市から市バスで山あいの国道を走り若山牧水の生誕の地を訪れました。けっこう整備された道で交通量は
少なくスイスイ走りました。
若山牧水の記念館があり一休みして明治期に活躍した歌人であることを、その歳で知りました。
牧水の生家やなかったですが、近くの古民家も見学しました。

2回目は日南市の飫肥(おび)でした。小京都とも呼ばれ、小さな町でしたが、観光客それも外国の人が多く印象的
でした。
メインは飫肥城という小さな城で、地域の運動会が行われてました。
名物は飫肥天という揚げかまぼこでした。
薩摩揚げに似てますが、ちょっと甘く似て非なる名産でした。
明治期の外務大臣・小村寿太郎の出身地でもあり記念館がありました。
帰阪して仕事中に雑談で話したら、その中に飫肥出身者がいて「よくぞ行ってくれた」と褒められました。



[403] こんなもの要らない 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/10/21(Fri) 18:59

ずいぶん前、本屋で標題の本を見つけ買いました。世の中に出回っている物には実はなくてもええ物がたくさんあると
いうコンセプトがまず書かれてあり、以後、実例がいろいろ挙げられてました。
我々の先祖は粗末な衣食住で生きてきました。今の世は贅沢と思っていたから、これはええとすぐ買いました。
いろいろな物が槍玉に上がってましたが、なるほどなるほどと思いました。
世の中、景気が悪いと言われてます。衣食住が昔より格段にリッチになりました。これ以上ほしくないから購買意欲が
湧かない、したがって物が売れない、だから不況になるのは当然と思います。
ところで、きょうも2020年パラリンピック、オリンピックの一部会場の候補地のことがニュースで取り上げられて
ました。どこにするか、なかなか決まらないようです。
人間が生きていく上で本当に必要な物、なくてはならない物以外は、「こんなもの要らない」ですから、
パラリンピック、オリンピックは本当に必要かと胸に手を当てて虚心に考えたら、それも、こんなもの要らないに
入ると思います。
夏冬五輪がそれぞれ4年に一度ずつだから、夏冬で2年ごとに開催されます。
毎度同じ会場ならコストはたいして掛からないでしょうが、世界中、毎回替えていきます。そのたびに膨大な費用が
必要になります。人類がそんな大金持ちなら、やればええでしょうが、世界中には飢えた人、医薬品がなくて苦しむ
人がいます。地震や大雨などの災害もあります。そういう費用を考えたら、そんな大会止めたらと思います。



[402] 水色の恋 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/10/20(Thu) 14:35

天池真理のデビュー曲「水色の恋」の歌詞はしみじみとした部分があります。
以下引用します。

さよならの言葉さえ言えなかったの
白雪姫みたいな心しかない私
遠く去ってゆく人に涙だけが
ひとしずく ひとしずく飛んでゆくの

あの人にさよならを言わなかったの
さよならはお別れのことばだから
あなたの姿あなたの声は
いつまでも私の思い出に
(以下略)

この歌詞のどこがしみじみするかって・・・それは「あの人にさよならを言わなかったの さよならはお別れの言葉
だから」です。
この部分はずっと以前から、なるほどと思ってきました。
本当にこれが最後と思う時に、さよならは言えません。
日常的にも別れの挨拶で言いにくいです。
なぜなら、今生の別れのニュアンスがあるからです。
むしろ、See you again のような言葉を使います。いつ会えるか分からなくても。最後と思っても。



[401] 尾崎放哉 投稿者:小林健夫 投稿日:2016/10/20(Thu) 07:05

中高時代に学んだ俳人に尾崎放哉(おざき ほうさい)という人がいました。
ちょっと紹介したいと思います。

1885ー1926
自由律俳句の代表的俳人。

有名な句
咳をしても一人

感想
放哉は41で肋膜炎で亡くなりました。病に冒され、咳をしても一人でいるわが身。
たったそれだけのことを句にしました。
短い句が人生の儚さを言い得て妙です。



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